「ウラン」による着色ガラス
ウランガラス(Uranium glass)は、極微量のウランを着色材として加えたガラスで、美しい蛍光緑色を呈します。
ヨーロッパが発祥で、食器やさまざまな日常雑貨が作成されました。
▲ウランガラス製のケーキ皿
▲紫外線(ブラックライト)で蛍光を発するウランガラス
ガラスにウランを混ぜることによる黄色や緑色の色彩を持つ透明なウランガラスが製造され始めたのは1830年代で、ウランが原子力に利用されるようになる1940年代までの間にコップや花瓶、アクセサリーなどの各種のガラス器がヨーロッパおよび米国で大量に製造されました。
現在では民間でウランを扱うことが難しいため、新たなものは極少量が生産されているのみで、骨董・アンティークとしてファンも多く、高値で取引されています。
ウランガラスの色は黄色と緑色が殆どですが、ピンク色、水色、青緑色、茶色、なども存在します。
ウランガラスの最大の特徴「真っ暗闇の中で紫外線ランプ(いわゆるブラックライト)で照らすと緑色に妖しく輝き蛍光を発する」という点が人々を魅了してきました。
紫外線ランプが無かった頃、夜明け前の空が青色のときには空に紫外線が満ちているので、この時にウランガラスが蛍光を放つ事によりこの特徴が知られる様になりました。
そもそもウランガラスが製作されたのは黄色の発色剤がウラン化合物であったためであり、蛍光現象は偶然見出された物でした。
人工的に紫外線を照射する技術が無かった発明当初は朝焼けや夕焼けの光に当てて蛍光を鑑賞していたとされます。
ヨーロッパでは、最初にウランガラスが発明されたボヘミア地方(現在のチェコ西部)が最も盛んで、その後、英国、フランス、ドイツ、ロシア、イタリア、スウェーデン、フィンランドなどで生産されました。
現在では、米国およびチェコで、わずかな量のウランガラス製品が収集家向けに製造されているだけで、市場で出回っているのは殆ど骨董品なので、購入するには骨董市などを巡ることになります。
その後、紫外線を可視光に変える蛍光現象を利用して照明の輝度を高めるために照明の覆いとして使われるようになり、特にアメリカでは鉄道車両の灯火照明用として多用されました。
日本では、ウランガラスの食器・ガラス工芸品が製造されており、大正から昭和にかけて、国内産品が大量に造られました。
さらに、小糸製作所は、戦前のSL(蒸気機関車)や電車の前照灯にウランガラスを使用しており、現在、京都鉄道博物館に展示されている
一部の機関車にもウランガラスの前照灯が付いています。
▲前照灯にウランガラスのレンズが使用された京阪600系(2代)
日本のウランガラス製造も、第二次世界大戦で終わりましたが、2003年、岡山県・人形峠(旧:上齋原村)で、人形峠の日本産ウランを使用したウランガラス「妖精の森ガラス」が開発されました。
2006年に開館した現地の「妖精の森ガラス美術館」で、所蔵品のウランガラスとともに、日本産のものを見ることができます。
ウランガラスのウラン使用率は1kgあたり1g程度であり、放射線量の目安はグラス100gあたり数千~1万ベクレル程度と、必須ミネラルのカリウムにわずかに含まれる同位体のカリウム40の体内蓄積から放射される量と同程度で、しかも、ウランはガラスに閉じ込められているので、外へ出ることがないそうです。
そのため、人体への危険性は、基本的にはわずかと考えられています。
▼ウラン着色とは異なりますが、
弊社のガラス花瓶にも色付きのものが幾つかございました。
参考文献;
株式会社小糸製作所
https://www.koito.co.jp/
wikipedia;
ウランガラス
https://bit.ly/39LjPE0
ウランガラスの放射能は大丈夫ですか?
https://bit.ly/39JDXGp
小糸製作所
https://bit.ly/2IJXPxa
ヨーロッパが発祥で、食器やさまざまな日常雑貨が作成されました。
▲ウランガラス製のケーキ皿
▲紫外線(ブラックライト)で蛍光を発するウランガラス
ガラスにウランを混ぜることによる黄色や緑色の色彩を持つ透明なウランガラスが製造され始めたのは1830年代で、ウランが原子力に利用されるようになる1940年代までの間にコップや花瓶、アクセサリーなどの各種のガラス器がヨーロッパおよび米国で大量に製造されました。
現在では民間でウランを扱うことが難しいため、新たなものは極少量が生産されているのみで、骨董・アンティークとしてファンも多く、高値で取引されています。
ウランガラスの色は黄色と緑色が殆どですが、ピンク色、水色、青緑色、茶色、なども存在します。
ウランガラスの最大の特徴「真っ暗闇の中で紫外線ランプ(いわゆるブラックライト)で照らすと緑色に妖しく輝き蛍光を発する」という点が人々を魅了してきました。
紫外線ランプが無かった頃、夜明け前の空が青色のときには空に紫外線が満ちているので、この時にウランガラスが蛍光を放つ事によりこの特徴が知られる様になりました。
そもそもウランガラスが製作されたのは黄色の発色剤がウラン化合物であったためであり、蛍光現象は偶然見出された物でした。
人工的に紫外線を照射する技術が無かった発明当初は朝焼けや夕焼けの光に当てて蛍光を鑑賞していたとされます。
ヨーロッパでは、最初にウランガラスが発明されたボヘミア地方(現在のチェコ西部)が最も盛んで、その後、英国、フランス、ドイツ、ロシア、イタリア、スウェーデン、フィンランドなどで生産されました。
現在では、米国およびチェコで、わずかな量のウランガラス製品が収集家向けに製造されているだけで、市場で出回っているのは殆ど骨董品なので、購入するには骨董市などを巡ることになります。
その後、紫外線を可視光に変える蛍光現象を利用して照明の輝度を高めるために照明の覆いとして使われるようになり、特にアメリカでは鉄道車両の灯火照明用として多用されました。
日本では、ウランガラスの食器・ガラス工芸品が製造されており、大正から昭和にかけて、国内産品が大量に造られました。
さらに、小糸製作所は、戦前のSL(蒸気機関車)や電車の前照灯にウランガラスを使用しており、現在、京都鉄道博物館に展示されている
一部の機関車にもウランガラスの前照灯が付いています。
▲前照灯にウランガラスのレンズが使用された京阪600系(2代)
日本のウランガラス製造も、第二次世界大戦で終わりましたが、2003年、岡山県・人形峠(旧:上齋原村)で、人形峠の日本産ウランを使用したウランガラス「妖精の森ガラス」が開発されました。
2006年に開館した現地の「妖精の森ガラス美術館」で、所蔵品のウランガラスとともに、日本産のものを見ることができます。
ウランガラスのウラン使用率は1kgあたり1g程度であり、放射線量の目安はグラス100gあたり数千~1万ベクレル程度と、必須ミネラルのカリウムにわずかに含まれる同位体のカリウム40の体内蓄積から放射される量と同程度で、しかも、ウランはガラスに閉じ込められているので、外へ出ることがないそうです。
そのため、人体への危険性は、基本的にはわずかと考えられています。
▼ウラン着色とは異なりますが、
弊社のガラス花瓶にも色付きのものが幾つかございました。
「詳細ページはこちら」
参考文献;
株式会社小糸製作所
https://www.koito.co.jp/
wikipedia;
ウランガラス
https://bit.ly/39LjPE0
ウランガラスの放射能は大丈夫ですか?
https://bit.ly/39JDXGp
小糸製作所
https://bit.ly/2IJXPxa